わたしのコロナからの教訓

みなさん、お元気でお過ごしでしょうか。

わたしは先日コロナを経験しました。息をしてエネルギーになるものを食べて、寝て、という暮らしをしていたので、すっかりヨガっぽい生活からは遠のき心は荒れに荒れています(笑)

外の世界にようやく触れることができるようになったと思ったら、世界はわたしが想像していた以上に憎悪に溢れていました。わたしを含めて偽善者だらけなような気がして、この感情とどのように向き合っていけばよいのか全く分からず数日間立ち往生していました。それでも、とにかく前を向いて歩んでいかなくてはいけません。どうにかこうにか社会とつながりを持とうと勇気を出した次第です。

これからお話することは、あくまでもわたし個人の感想です。ですので、なにか情報が欲しくてここにたどり着いたという方にとっては全く役に立つ内容にはなってないかもしれません。けれど、わたしが思っていることが一人でも多くの人に届けばよいなと思っています。

コロナにかかって感じていること

わたしは健康には人一倍気を配っているつもりです。過去4年間近く一度も大きな風邪という風邪は引いていませんでした。そして常に「わたしは大丈夫。」という根拠のない自信もありました。

個人的には、私が何かしたから、あるいはしなかったから、よりかかりやすくなったということはないと思っています。

誰でもかかると思います。結局は、どんなに技術が発達しようと、お金を持っていようと、人は自然の力には敵いません。かかる時はかかります。

そして、この目に見えない感染症との戦いはきっとこれからも続いていくのだと思います。

だから、「わたしは大丈夫」と思っていても、自分のカラダと健康との関係を継続的に育んでいくことが何よりも大切なのではないでしょうか。

なぜか私たちは、体の調子が悪いときだけ体との関係を築こうとします。なぜ痛みや不快感を感じるようになってから、そのメッセージに耳を傾けるようになるのでしょうか。

健康は固定されたものではありません。それは、私たちが感じ、理解できる表現であり、出来事なのだと思います。日常会話で人と話すときに使う言葉のニュアンスと同じように、健康もまた、体の中のシステムのコミュニケーションを表す言葉なのだと思います。臓器、組織、骨、血液など、あらゆるところで起こる多層的な現象なのです。健康を見つけるには、それぞれの層の皮を剥いで覆い隠しながら、それらが互いにどのように関係しているかを見るようなもので、そのすべてを行うには、それを探求する実践に従事する必要があるのだと、今は感じています。

大切な人の笑顔が見たいなら

毎日5時に起きて、ヨガ、呼吸法、瞑想、マントラを唱えていたわたしでも、自分を過信しすぎ、自然を侮っていました。

自分を守るだけではなく、隣にいる大切な人を守るためにも、どうか「わたしは大丈夫」と思わずに、そして他人事に思わず、自分の健康と向き合って下さい。

わたしはその環が広がればきっと世界はもっと平和な場所になると信じています。

ABOUTこの記事をかいた人

シンガポール在住10年 文筆家/ヨガ講師/アーユルヴェーダアドバイザー  House of Emmaでは、毎日の暮らしの中でできるヨガとアーユルヴェーダの智慧をベースにした食事、美容、セルフケア、季節ごとの過ごし方などライフスタイルの提案をしています。