瞑想を習慣化して数年。メディア業界に片足を入れていることから「瞑想すれば良くなる」と思い込み、いつの間にか瞑想に寄りかかった状態になっていることに気づいたのはつい最近。
もちろんスッキリする日もあるし、なんとも言えないスピリチュアル体験の日もある。けれど、全然集中できない時もあれば、イライラや悲しさが増す日もある。特に今年はコロナもありプライベートでも色々あり、瞑想にすがりながらも、その瞑想時間が辛いと感じることも…そんな中1年ぶりに開いた「ヨガ・スートラ」を読み、思い切って瞑想の練習を一時中断することにしました。
Contents
瞑想はみんなに効果があるわけではない
そもそも瞑想って?

瞑想の定義って?
瞑想は心身に良い影響があるというとは言われているけれど、改めて考えてみました。瞑想って何?
今や瞑想に関して様々な書籍や研究があったりするけれど、人によって言うことは異なります。
ある人は、瞑想は”何も考えない、または考えないようにすること”と言い、
またあるは、瞑想は”何かに集中すること”と言い、
さらにある人は、瞑想は”特別な体験をすること”と言う。
瞑想には、色々な捉え方があるということ。
世界中には、さまざまなタイプの瞑想の理論ややり方があります。「瞑想」を定義付けようとするたくさんの捉え方、考え方があり、実際、ヨガの中にも具体的な瞑想法も数え切れないほどあります。
では、私にとって「瞑想って何?」と考えてみました。
瞑想を中断する前までの私辞書によると、「瞑想とは心を鎮めてくれる方法」でした。瞑想をすれば、イライラや不安が鎮まる、不安がなくなる、心が落ち着いて、”無”になれると思っていました。瞑想頼みみたいな感じです。
それが瞑想は中断して以降の私辞書によると「瞑想は鎮まった心を保つための方法」に変わりました。つまり、自己探求をして自分を理解してからでないと、瞑想してもイライラや不安などに踊らされるだけ。
瞑想をする大きな目的はみんな同じ
「これは瞑想」、「これは瞑想ではない」と言うのは、本人が決めることですが、瞑想をしている人たちの中で、共通していることもあるとわたしは考えています。それは「瞑想をして良くなりたい」という目的。
瞑想をして集中力をアップしたい。
瞑想をして前向きになりたい。
瞑想をしてリラックしたい。
瞑想をして、ネガティブになったりイライラしたり、悲しくなったりしたい人っていないですよね。でも、私はしてました。ずっとではないのですが、少なくともここ数カ月間はずっと。
瞑想をしても効果のない人

「瞑想はして良い人としてはいけない人がいる」とヨガ哲学の本「ヨガ・スートラ」には書かれています。
ヨガ・スートラとは、賢者パタンジャリが数万年前に書かれたと言われるヨガのHow To本。つまり(古典的な)ヨガの教科書で、本来のヨガの最終目標「悟り」に到達するまでの方法が記された本。
この本の中で、何年も瞑想の練習をしても効果を感じていない人は、するべきではない、先に心のコントロールの方法を知りなさいと書かれています。
例えば、イライラしてるからその気持ちを鎮めたいと瞑想しても、イライラしている気持ちが収まらないという経験をしたことがある人も多いかもしれません。また悲しい気持ちのまま瞑想しても、悲しいことばかり考えてしまったという方もいるかもしれません。
イライラした気持ちや悲しい気持ちを抱えたまま瞑想したら、自分にとって辛い時を過ごすのが長くなってしまうだけ。まさにわたしのこと!
古典的なヨガでも瞑想は心を落ち着けてから

ヨガ・スートラには、「ヨガの八支則」が説明されてあります。これは、本来のヨガの最終目標である解脱に到達するのかを段階的に練習していく方法。
ヨガの八支則 | |
1. ヤマ(禁戒) | 日常生活の中で、他人や物に対して慎むべき5つの心得。 環境や人間が良い関係を保つために自制すべきこと。 |
2. ニヤマ(勧戒) | 日常生活の中で、自分に対して守るべき5つの心得。 自分自身と良い関係を保つために進んですべき自己鍛錬が。 |
3. アーサナ(坐法) | ヨガのポーズ。 瞑想に適した「安定して快適な座法」を身につけるための練習。 |
4. プラーナヤーマ(調気) | 呼吸法。呼吸、体、心を繋げることに意識を向けること。 |
5. プラーティヤハーラ(制感) | 感覚への意識を深めてコントロールすること。 |
6. ダーラナー(集中) | 意識を特定の対象物に長時間向け心を集中させる状態。 |
7. ディヤーナ (瞑想) | 積極的に集中することもなく、深い静かな精神でいられる状態。 |
8. サマーディ(三昧) | 瞑想が深まり集中の対象との一体感を感じている状態。心の平静を保つ精神的な喜びを感じ、至福とされている。 |
最初の2段階ヤマとニヤマは日常生活で実践するヨガで、日本の道徳教育と考えると分かりやすいと思います。そして、3段階のアサナで体の健康を整え、第4の呼吸方法と第5の意識のコントロールへ繋げ、第6の集中の段階では、すでに心に踊らされていることがない状態に。そして第7の瞑想の練習に入ります。
そう、瞑想は古典的なヨガの中では、8段階のうち7段階目。後ろから2番目です。
瞑想を中断して良かったこと
楽になった

朝晩に短くて10分程度、長いと1時間弱瞑想の時間を持っていた私が、自分に「瞑想をしないで良いよ」と許可を渡したら…とても楽になりました!(笑)
瞑想の時間が苦痛と感じることはなかったけれど、眠い目をこすりながら仰向けのまま瞑想ごっこをして二度寝に入ることもあったし、嫌なことがあったり、体調が優れない時はそちらばかりに意識が向かっていることもありました。
瞑想をしないでよくなったことで、本を読む時間を増やすことができたのも良かったです。
自分に向き合うことができた

瞑想をやめたことで、今まで超特急で書いていたジャーナリング(日記)を丁寧に書くことができるようになりました。
1日を振り返ったり、体調をチェックしたり。結局、瞑想をするための心のコントロールって、自分のことを理解していないとできないんですよね。
自分がどんな人なのか、自分の周期による体調の変化はどうなのか、なりたい自分はどんな自分なのか、そのために今何をすべきなのか、自分としっかり向き合うことができるようになりました。
満たされていることに気づいた

自分を向き合うことで、「わたしってすごい幸せ者じゃない?」と感じるようになりました笑
周りからは「かわいそう」とか、「変わっている」とか言われることもあるのですが、そんなことないです。ただ、自分の外部で起こっていることに惑わされていましたが、自分の内側にある静けさに気づいてからは、満たされていると感じることが多くなりました。
瞑想ができるようになった

そして、瞑想ができるようになりました。
夫からは「瞑想ってできる、できない分かるの?」と聞かれたのですが、自分が「できた」と感じていればそれで「できた」なのです笑
もちろん、八支則の全てが完璧なわけでもなく、瞑想して百発百中「できたー」というわけではないです。
けれど、前のように「瞑想しなくちゃいけない」という気持ちで望むこともなくなり、自分がやりたい時にやろうかなと言う気軽な気持ちでただ目をつぶって座る時間を設けるという気持ちで練習しています。
あなたが良くなることで周りも良くなる

今や瞑想には様々なスタイルの瞑想があるので、誰しもがこの古典的なヨガの方法に従うべきとは思っていません。またヨガにも流派がたくさんあるので、この方法が絶対というわけではありません。ただ、私はヨガ・スートラが示した方法が合っていただけ。
もし瞑想に迷走していのであれば、一度中断してみるのもおすすめです。その時間を、今やるべきことに当てることができたり、もっと楽しい時間を過ごすために使ったり、できることはたくさんあるはず。
あたなが良くなって、あなたや周りの人にとって良いことができるために、ベストな選択ができますように。