【ヨガ×サステナブル=大人女子の幸せ】自分への”暴力”をやめたら地球に優しくなれた話し

”暴力”と聞くとキツイ言葉に聞こえるかもしれないけれど、この考え方はヨガの考え方の一つ。Off the mat(オフ・ザ・マット/マットの外でのヨガ)の一つです。

暮らしのヨガに意識してみると、教えを知っていても実践は決して易しいことではないなと気づきがたくさん。

ヨガとサステイナブルって繋がりがないよう思えるんですが、「ヨガ」という考え方の基本を暮らしの中で実践すると、ふと「こう言うことかー」と腑に落ちることが多々あります。

今回は、ヨガの基本中の基本である第一段階の1つ目”非暴力”とサステイナブルについてお話したいと思います。

ヨガの八支則

今までのブログのポストの中で何度か紹介してきた『ヨガの八支則』。

これは”ヨガ”という考え方の基本。本質的なヨガの目的である悟りを開くために8つの段階に分けて練習しましょうという教えです。

一段階目: ヤマ=禁戒(きんかい)
慎むべきこと。

アヒンサ(非暴力)、サティヤ(正直)、アステーヤ(不盗)、ブラフマチャリヤ(禁欲)、アパリグラハ(不貪)

二段階目: ニヤマ=勧戒(かんかい)
やるべきこと。

シャウチャ(清浄)、サントーシャ(満足、知足)、タパス(苦行、自制)、スヴァディアーヤ(読誦、学習、向上心)、イーシュワラ・プラニダーナ(自在神記念、信仰)

三段階目: アサナ=対位法
ポーズ。

四段階目: プラーナヤーマ=呼吸法
呼吸法。生命力(プラーナ)をコントロール。

五段階目: プラティヤハーラ: 制御
意識的に動作を鎮める。五感を内に向かわせ瞑想に入ること。

六段階目: ダーラナー: 集中
集中。

七段階目: ディヤーナ: 瞑想
集中していた意識が同化。自然と自分の境界線がなくなり一体化する。日本では「禅」とされる。

八段階目: サマディ: 三昧
全てから解放された状態。悟りの境地。

アヒンサー(非暴力)

アヒンサーは非暴力を意味するサンスクリット語。簡単に言うと、「暴力をふるわない。乱暴なことをしない」という教えです。

それだけ聞くと「私は出来ている〜」と思うかもしれません。(少なくとも私はそう思いました。)けれど、この教えを何度も何度も読んで、そして自分の暮らしに当てはめてみると、もう暴力だらけ!乱暴なことだらけ!です。(私の場合は)

なぜなら、ヨガの八支則の中の非暴力、手や足を出す行動だけでなく、言葉、そして思考においても暴力を慎むことを言っているから。

この教えを守って最も感じていることは先に言ってしまうと、周りの人や自然や動物や地球全体に対しての行われる暴力は、結自分に対しての暴力をやめない限り終わらないと言うこと。

なので、まず始めに自分に対しての暴力を改めていくことが、大切だと思っています。

私が見つけた私に対する暴力

”休まない”という暴力

1月は月の半分を体調不良で過ごした私。新しい年が始まり、やる気とエネルギーに満ちあふれていたからか、自分のキャパシティー以上の役割を担わせていました。

体からの”休んで下さい”というサインを見て見ぬ振りをして過ごしていたことは完全に自分に対する暴力。

頑張らなくちゃいけない時はもちろん頑張らなくちゃいけないと思いつつ、女性という体に生まれてきた私にはどうしても限界や波があります。

休めない状態を作ったのは完全にスケジュールを入れすぎたせい。時間には限界がある中、スケジュールを消化できないまま、また満足しないまま、プライベートの時間に突入すれば、その時間も仕事のことで頭がいっぱいにるというサイクル。

仕事のスケジュールを組む時に大切なのは一つ一つの仕事を丁寧にこなして消化することが大切。

”体を冷やす”という暴力

今まで頭痛なんて風邪の時(それでも稀)にしかしたことなかったのに、1月に突如訪れた頭痛の嵐。原因は、”体の冷え”だったよう。

1年中常夏の国ではありますが、シンガポールにも一応寒くなる時期がありそれが大体12月〜1月の雨季の時期。森の中で暮らす初めての雨季は、思いの外とても寒く、全身が冷え冷えになると言う…

寒いのを我慢して無視した服装や食べ方(体を冷やすものを選んでいたこと)は、自分に対しての暴力でした。

”スマホを見すぎ”という暴力

1月は本当にたくさんスマホを見ていました。SNSの投稿以外にも本(Kindle)もスマホで読んでいたこともありスクリーンタイムはとても多かった月。

スマホを見すぎて、おそらく軽くスマホ首になっていたもよう。首も肩もカチカチになり、首を自由に動かすことができなくなるほど!

もしかしたら、たまたま寒さが影響したのかもしれないし、もしかしたら仕事のしすぎかもしれないし、色々な暴力が重なって結果として起こったことかもしれません。

けれど、スマホを見すぎていたことは、明らかに暴力。スマホを見ている時間に、瞑想をしたり、お休みをしたり、森林浴をしたり、いろいろなことができるはず。

2日間、デジタルデトックスを決行して、この症状もすぐに収まったから良かったのですが、やっぱりデジタルとの付き合い方にももう少し注意を払ったほうがいいなと思いました。

”人間関係を気にしすぎ”という暴力

誰でも一度や二度、人間関係に悩んだことがあるはず。

私も人間なので、よく悩みます。そしてここ最近も苦手な人ができました。一度作り上げてしまった苦手という気持ちはそう簡単には開放することができません。

今まで、人間関係に悩んだり、苦手な人ができた時、私が真っ先にすることは、「距離を置いて、守りに入ること。」時間が経ち、いつの間にか苦手だった相手が苦手じゃなくなったりすることもあったり、疎遠になることもありました。

それが今回はちょっと違ったんです。なぜなら私だけの人間関係ではなく、家族が絡んでということ。私だけの付き合いであれば選択は私がすればいいものの、家族がらみなのでそう簡単に距離をおけません。どうしても、私の世界に入ってくる苦手な人に悩み、悲しみ、時にイライラし…

未だにこの悩みは解決はしておらず、時々私を苦しめています(笑)とは言え、ここ最近は人間関係の悩みなんて、私の妄想や空想にすぎないはず。「気にしすぎは自分に対して暴力だ」と言い聞かせ、自分の軸を貫くことに集中しようと努力中です。

自分を大切にすることが他者に対しての非暴力の一歩

これらは、私が感じた暴力。これが必ずしも皆さんの暴力になるとは思っていません。人はそれぞれ違うのは当たり前。共感できたからと言って、それが自分ごとになるかどうかは本人にしか分かりません。

結論として言えるのは、暴力は意外と私たちの身近にあるということ。よくよく意識してみると私は明らかに本質的な非暴力を実践してきていないなということがよく分かりました。

まずは自分自身を大切にすることから始めるのは、おすすめです。

  • 今日1日頑張った自分に対して、「よくがんばった」と褒めてあげる。
  • 自分の良いところをちゃんと認識しておくこと。(自分のダメなところを攻撃しない)
  • 呼吸に意識を向ける。
  • 心や身体からのサインを無視せず、疲れたら素直に休む。

自分自身を労わり大切にすることができれば、身近な人や自然そして地球に、正しく、思いやりをもって接する余裕は生まれていくのではないでしょうか。

ABOUTこの記事をかいた人

シンガポール在住8年のライター/Webクリエイター/ヨガインストラクター(全米ヨガアライアンスRYT200保持)。4歳の娘 Emmaと夫と3人暮らし。Webを中心に、ファッション、ビューティー、ライフスタイル、旅行など幅広いジャンルに関する情報を発信。現在はWEBクリエイターとしてWEBサイトを運営、取材、執筆活動を行う傍ら、RYT200を活かしシンガポールを中心にヨガインストラクターとしても活動中。